一般に平和とは戦争がないことを意味するが、途上国の中には極度の貧困・飢餓・疾病・無秩序・犯罪などのために「戦争もないが、平和もない悲惨な状態」に置かれている国が少なくない。途上国は戦争や紛争の多発地帯でもあるが、戦争や紛争がない期間でも、「平和な」社会というイメージにはほど遠い状態が続いており、その実態は「戦争と平和」という伝統的な図式では捉えきれない。
インドの研究者は「戦争もないが、平和もない悲惨な状態」を「非平和」peacelessnessと定義している。こうして、作業概念としての平和概念の分節化が要請され、「戦争がないという意味での平和」は「〜でない」と消極的・否定的negativeに定義されることから、「消極的平和」negative peaceと呼ばれるようになり、「平和は〜である」と積極的・肯定的positiveに定義することによって得られた積極的平和概念と区別して使われるようになった。ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングが最初に提唱した概念である。
積極的平和概念の内実は、経済的・政治的安定、基本的人権の尊重、公正な法の執行、政治的自由と政治プロセスへの参加、快適で安全な環境、社会的な調和と秩序、民主的な人間関係、福祉の充実、生き甲斐などであるが、このような平和指標は弾力的である。消極的平和はもっとも狭義に定義された固定的・静的平和概念であり、積極的平和は広義に定義された発展的・動的平和概念だということもできる。しかし、「戦争がない」こと自体が「積極的な価値」であることには変わりはなく、戦争の廃絶は依然として人類社会の理想であり続けるだろう。もちろん、平和教育や平和学が実現可能だとして目指しているのは戦争の規模を極小化し、発生の頻度をゼロに近づけることであるから、単なる夢想を追い求めているわけではない。それは医学の理想が病気ゼロの社会を目指すのと似ている。
ところで、各種の世論調査には「あなたは現在の日本を平和だと思いますか」という設問があり、「思う」「思わない」のどちらかに答えるようになっているが、日本は半世紀以上も戦争をしていないのだから、「平和」という言葉にもともと戦争の反対語以上の意味がなければ回答不可能になってしまうはずである。現在の日本を「平和だと思う」人たちも「平和だと思わない」人たちも無意識のうちに積極的平和概念を印象基準にしていることが観察される。沖縄には平和がないという場合も同様であって、国土面積の僅か0.6パーセントの島に在日米軍基地の約75パーセントが密集しており、そのため、失業率の高さ、収入の低さが日本一であり、米軍人による犯罪や事故が多く、軍用機の離着陸・航空に伴う騒音から起こる肉体的精神的障害も増えているという事実認識に基づいている。
【参考文献】
- Sugata Dasgupta:"Peacelessness and Maldevelopment"
- Johan Galtung: "Violence, Peace, and Peace Research"
- 岡本三夫・横山正樹編著 『平和学の現在』、法律文化社、1999年。