古来、兵器はどれほど新しい兵器を開発してもそれを凌駕する新兵器が次々に開発されるという形で「進歩」してきた。現代においても、核兵器搭載爆撃機に対してはABM(対弾道ミサイル)が、ABMに対してはMIRV(個別誘導複数目標弾頭)がといった具合に、新兵器の開発競争が展開されてきた。また、強大な軍事力(軍拡=軍備拡大・軍備拡張)によって「一国安全主義」を追求する政策は、その強大な軍事力を脅威と知覚する国がいっそう強大な軍事力によって対抗するため、軍拡競争は無限につづき「安全保障のディレンマ」に陥らざるを得ない。すなわち、国は「絶対安全」を求める政策によってかえって脆弱になるというディレンマである。
軍拡の極限的形態は冷戦終結時まで続いた米ソ間の核軍拡競争で、過剰殺戮(overkill)体制と言われた。このように、軍拡競争は相互反応モデルによって説明されることが多い。だが、1970年代の米ソ間緊張緩和(デタント)時代にも軍拡が過熱化したのはなぜだろうか。この状況は相互反応モデルによっては説明できない。ドイツのディーター・ゼングハースは、現代の軍拡競争は社会病理学的な「自閉症モデル」によってこそ合理的に説明することができるという仮説を提唱し、証明を試みた。すなわち、軍事機密の呪縛による閉塞状況が深刻化したため、米ソ両国は@相手に対して非現実的なイメージを抱き、Aそのため正常な情報収集が機能しなくなり、B相手の動きに対しては過剰反応状態にあった、というのである。
当時の米ソ関係は、貿易や旅行のような実質的相互交流を最低限に押さえ、軍事的に転用される可能性の高い物資の売却には神経を尖らせ、極めて限定的かつ歪曲された情報を操作することによって相手に対する国民の猜疑心と恐怖を必要以上に煽り、「相互確証破壊」(MAD)のような「抑止という名の脅迫外交」(冷たい戦争)を展開したというわけである。軍事機密を最優先する社会は秘密主義に陥り、非民主国家に転落する。冷戦という名の戦争に勝利するためには敵の裏をかかねばならず、そのためには自国民をさえ欺かねばならないという病的な異常さは米ソ両国の国民的モラルを蝕んだ。また、既得権を持つ軍需産業は財界を足がかりに政界、官界、学界に根を張り(「軍産複合体」)、軍拡競争を煽る一方、途上国に対しては積極的な武器輸出を行い、世界の軍事化(militarization)を促進してきた。
冷戦終結後、世界の趨勢は軍縮が基調となったが、米国が主導するNATO(北大西洋条約機構)の東方拡大(ポーランド・ハンガリー・チェコ等への)、米本土ミサイル防衛(NMD)計画、日米共同の戦域ミサイル防衛(TMD)計画などの動きもあり、米国のタカ派の思惑通りにことが進めば、米ロ中日欧を巻き込んだ新たな軍拡競争になりかねない。
【参考文献】
- 黒沢満 『軍縮問題入門・第2版』、 東信堂、1999年
- The Independent Commission on Disarmament and Security (Palme Commission): "Common Security. A Program for Disarmament", London and Sydney, 1982.