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軍縮-arms reduction, disarmament(英)

冷戦たけなわの頃、米ソの軍縮交渉が行われるたびに両国の核兵器保有数が増大することを皮肉たっぷりに描いたマンガがあったが、軍備管理(arms control)とも呼ばれた当時の軍縮交渉(arms reduction talks)は事実その通りだった。

一般に、軍縮(軍備縮小)は英語ではdisarmamentと呼ばれ、軍縮・軍備管理などと連結語で呼ばれることもあるが、軍縮と軍備管理とは本来はまったく別物である。かつてdisarmamentは武装解除ないし軍備撤廃を意味したが、arms controlは兵力均衡(balance of power)を意味し、高いレベルの軍拡を排除しなかった。しかし、地上配備の中距離ミサイル全廃を目指した1987年のINF(中距離核戦力)条約が成功し、米ソ間の軍縮交渉は一変した。冷戦終結はこのトレンドに拍車をかけ、米ソ間の戦略核・戦術核の一方的削減措置を含む大幅核軍縮が実施された。ピーク時に69,490発(1986年)に達した世界の核兵器数がその半分以下に減り、ほとんど2日毎に行われていた核実験も(臨界前核実験を除き)ゼロになった(2000年現在)。

欧州安保協力会議(CSCE)による信頼醸成政策のもとに、欧州通常戦力(CFE)条約が締結され、地上配備した通常兵器の大幅な削減および数十万規模の兵員の削減も実施された。ソ連の崩壊、東欧諸国の民主化、ドイツ統一、ワルシャワ条約機構軍解体、スービック・クラーク両米軍基地閉鎖(フィリピン)などが矢継ぎ早に起こり、さらなる軍縮への環境も整った。生物兵器禁止条約、化学兵器禁止条約、核不拡散条約(NPT)の無期限延長、包括的核実験禁止条約(CTBT)なども成立し、非人道的兵器・大量破壊兵器の新たな開発は一段と困難になった。

中南米(トラテロルコ)、南太平洋(ラロトンガ)、アフリカ(ベリンダバ)における3つの非核地帯条約によって広範な南半球一帯の非核化も強化され、イスラエルと共に核兵器保有が確実視されていた南アも一定期間保有していた核兵器を放棄した。通常兵器移転の透明性を高める国連軍備登録制度には国連加盟国の約半数が登録し、軍縮に貢献している。自動小銃等の小火器の規制も国連を中心に強化されつつあるが、対人地雷の全面禁止条約成立に果たしたNGOの役割がこの分野でも期待されている。

軍拡による米ソの経済破綻・国力の疲弊を目の当たりにした国際社会は軍縮への志向を高め、国連軍縮会議(ジュネーブ)の役割も増大しつつある。1982年、安全保障に関するパルメ委員会は、信頼醸成と友好関係による相手国の安全保障こそ自国の安全保障の前提だという共通安全保障(common security)の思想を打ち出し、安全保障と軍縮の不可分性を提示したが、現在の軍縮路線の底流を流れる基本的な思想となっている。

    【参考文献】
  1. 黒沢満 『軍縮問題入門・第2版』、 東信堂、1999年
  2. The Independent Commission on Disarmament and Security (Palme Commission): "Common Security. A Program for Disarmament", London and Sydney, 1982.



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