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改めてヒロシマから呼びかける
―新しい「核戦争」の脅威の時代に―
『世界』2002年9月号(岩波書店)


 この春、「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」と「核兵器廃絶ナガサキ市民会議」が合同で、「ヒロシマ・ナガサキ反核平和使節団」を編成し、四月二四日から五月四日まで、八人の被爆者を含む総勢一九人の同志と共にニューヨーク、ワシントン、アトランタの三都市を訪問した。一行は一九歳の大学生から七一歳までの老若男女で、広島から一二人、長崎から五人、現地参加二人、被爆二世二人という構成だった。

 訪米の目的は、多様だったが、まず、テロで犠牲になった人たちの遺族の集まりである「平和な明日を求める九・一一遺族の会」という平和団体との交流と遺族への弔意表明、米国のアフガン戦争即時停止の要求、被爆者による被爆証言、ヒロシマ・ナガサキからの本来のメッセージである核兵器早期廃絶の訴え、それを実現させるための米議会におけるロビー活動などだった。秋葉忠利広島市長からの親書を、国連事務総長、ブッシュ大統領、三都市の市長、米国国民へ届けるという仕事も引き受け、結果的には国連軍縮局や日本代表部、さらにワシントン府の日本大使館の軍縮担当部門まで訪問することになった。

 「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」(HANWA)は昨年三月に発足した広島の新しい反核平和組織である。二〇世紀にはついに実現できなかった「核兵器を地上から一掃する」というヒロシマの願いを実現するために結成された。市民中心のNGOだが、原水協、原水禁、二つの県内被団協、韓国人原爆被害者対策委員会、朝鮮人被爆者協議会、ピースリンク広島・呉・岩国、インド・パキスタンと平和交流をすすめる広島市民の会、韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部、核戦争防止国際医師の会日本支部ほか、広島県内で活動する代表的平和団体の主要メンバーが個人の資格で参加している。

「平和な明日を求める九・一一遺族の会」

 ニューヨーク市では「平和な明日を求める九・一一遺族の会」の人びととの会合に成果があった。「九・一一」の後、彼・彼女らは行方不明の兄や弟、姉や妹を必至になって探し回ったという。訪米団の中には、キノコ雲の下で行方不明になった肉親を探し回った者が何人かいた。辛い思い出に国境や民族の壁はない。原爆投下による二つの都市破壊とテロによる二つの高層ビルの崩壊とを同列におくことはもちろんできないが・・・

 しかし、罪のない市民が無差別に殺されてしまうという惨劇に対する怒りと突然に愛する者を失う悲しみは南京大虐殺でも、アウシュヴィツ収容所でも、東京大空襲でも変わらない。不条理という言葉だけでは納得できない悲劇に打ちのめされ、心理的に追いつめられた遺族の深い悲しみは世界貿易センター跡地付近での追悼集会でもまったく同じだった。被爆後に力強く花を咲かせたと伝えられる夾竹桃の苗を持参し、世界貿易センター跡地に植樹してもらうべく贈呈した。

 歳月を超えて周囲の者にも広がる悲しみと慰めの言葉が、「九・一一遺族の会」と訪米団とを見えない絆で固く結んだ。遺族の会会員の生々しい物語はとても平常心で聞くことはできなかった。悲劇的体験の共有は半世紀以上前の被爆都市でのさまざまな物語を活性化させ、各地での被爆証言をよりいっそう効果的なものにした。遺族の会と訪米団とが協力して実施した追悼集会では被爆地からのメッセージに目頭を潤ませる米国人の姿も見られ、核兵器廃絶とテロ撲滅への誓いで心が結ばれた。

 世界貿易センタービル跡地近くの教会を囲む壁は、千羽鶴、行方不明の夫、妻、父、母、兄弟、姉妹、恋人、友人、同僚などを偲ぶ絵やはなむけの言葉の数々、殉教した消防士たちへの献花、彼らの犠牲的精神への賛辞などで一杯だった。古い街角の教会と郊外の仏寺で行われた追悼礼拝では進行中のアフガン戦争で殺された人びとへの祈りも捧げられた。

 「平和な明日を求める九・一一遺族の会」のメンバーたちは、年が明けてから、グループでアフガニスタンを訪れ、米軍の空爆で肉親を失った遺族を慰問している。米政府には「私の名前を使ってアフガニスタンの人たちを殺さないで欲しい」と訴えた。遺族の名前を使って復讐している政府への批判である。この会の活動は、インターネットで知ることはできるが、平和活動をしている人たちを除けば、米国人の間でさえほとんど知られていない(http://www.peacefultomorrows.org)。「ナショナリズムのブルドーザー」がグループの声を踏み潰しているのだ。

 「平和な明日を求める九・一一遺族の会」と「ヒロシマ・ナガサキ反核平和使節団」との絆はナショナリズムを超えて繋がった。これら二つの小さなグループが主張していることは暴力によらない人間関係、民族関係、国家関係である。「やられたら、やり返す」という仇討ちの習慣は、百年以上も前から法律で禁止され、市民の日常生活の中では一般的にはなくなった。愛する者を殺された恨みや悲しみは想像を絶するが、下手人が極刑を科せられても死者が戻ってくることはなく、遺族の深い心の傷が癒されるわけではない。おそらく、悲しみはより一層深まるばかりだろう。

 報復戦争は、興奮し怒り狂う民衆の抑えがたい復讐心の「ガス抜き」としては最高の政治手法である。マキャヴェリズムの応用とも言える。真に民主的な指導者ならば民衆に抑制と自省を求め、平和的手段による解決への協力を訴えるだろう。が、実際は逆だ。ブッシュ政権も報復戦争ならばどんな制裁でも許されるという民衆の心情を利用した。米国にとって対日戦争と対独戦争が根本的に違ったのもこの点だった。「真珠湾奇襲攻撃への復讐のためなら原爆も許される」という心情だ。

 実際、「リメンバー パールハーバー!」の名において東京空襲が行われ、七〇近い日本の主要都市が爆撃による被害を受け、その多くが焼き尽くされた。「リメンバー!」という掛け声には報復を鼓吹する響きがある。広島・長崎で「ノーモア ヒロシマ! ノーモア ナガサキ!」と言うのとは対照的だ。広島・長崎では報復ではなく、暴力否定を誓い、呼びかける。「ノーモア!」という掛け声は「平和的手段による平和」への誓いでもある。

一枚岩ではない米国

 ワシントン府で「ヒロシマ・ナガサキ反核平和使節団」と大書きした横断幕を掲げてデモった時には「リメンバー パールハーバー!」という怒声を浴びせられた。その反面、デモに飛び入りで参加する米国人もいて、勇気付けられた。日本人学生やボランティアの人たちの参加もあった。デモを制止したり、妨害する特別な動きはまったく感じられなかった。ワシントンでは米国が一枚岩ではないことを改めて知った。

 核兵器廃絶を大統領に直訴するのだといって、八一年以来の二〇年余、たった一人で座り込みをしているという初老の女性にホワイトハウス前で遭った。彼女の座り込みは、四六時中だ。座り込みの姿勢で寝る。来る日も、来る日も。家財道具は一切処分してきたという。体一つで初志を貫き通す。二〇年余。核兵器廃絶の訴えを生きる女性が、ホワイトハウス前にいた。カンパに頼るならまだしも、組織の金に頼って運動し、動員される平和運動とは雲泥の相違だ。

 二〇年前といえば、米ソ冷戦たけなわのレーガン大統領の時代だった。ソ連を「悪の帝国」と呼んで限定核戦争も辞さない姿勢が批判され、空前の反核平和運動が欧州の都市という都市を席巻した。彼女はあの反核平和運動の申し子だ。ホワイトハウスからは丸見えだから、大統領には目障りなはずだが、強制退去処分にされないのが米国の不思議。極寒の冬でも厚手のコート一枚で座り込みを続けてきた。

 世界貿易センタービル跡地近くの教会を囲む壁は、千羽鶴、行方不明の夫、妻、父、母、兄弟、姉妹、恋人、友人、同僚などを偲ぶ絵やはなむけの言葉の数々、殉教した消防士たちへの献花、彼らの犠牲的精神への賛辞などで一杯だった。古い街角の教会と郊外の仏寺で行われた追悼礼拝では進行中のアフガン戦争で殺された人びとへの祈りも捧げられた。

 ところで、私たちが座り込みをすることになったエネルギー省正門前では、武装した警備員たちに包囲され、恐怖心が胸を走った。「フリーズ!」という声を聞いた団員さえいた。入念に写真を撮られ、かなり長い間、足止めをくった。周知のごとく、米国の核兵器関連予算は国防総省ではなく、エネルギー省が管掌しているわけだから、警備員たちの警戒には理由があった。結局、構内での座り込みは許されなかったが、それでも巨額の核兵器予算を握るエネルギー省前での座り込みは前代未聞のことだったに相違ない。

 アトランタ市でのラジオ放送では、訪米の目的に反発した聴取者から「原爆のお蔭で日本本土決戦がなかったことに日本人は感謝すべきだ。被爆者や広島・長崎市民が核抑止政策が悪事でもあるかのように主張し、反核平和を訴えるのはナンセンス」という挑発的な電話がかかってきた。「原爆が戦争終結を早めた」という神話は、日本人の中にも信じている人がいるが、米国では常識的な見解となっている。

 五月初旬に帰国した私たちは、被爆者の高校訪問が拒否されて帰国したことに同情してくれる人たちが多いのに驚いた。アトランタ市で訪問を予定していた三高校の中の一つが、地元教育委員会の横やりで計画中止に追い込まれ、公式訪問がキャンセルになったことが、日本ではテレビや新聞でやや大袈裟に報道されたためだった。事件は確かにショックだったが、九日間の全行程の中では瑣末なことだった。

 もし、逆に、第二次世界大戦中に、韓国、中国、東南アジアで被害を受けた人たちが広島の高校へ交流を申し込み、被害の実態について報告することになったとしたら、それを事前に察知した県教委や市教委は果たして許可しただろうか。三年前、「日の丸掲揚」「君が代斉唱」を「指示する」県教委と、県教委に反対する教職員組合との板挟みになって自殺した高校長のケースに関わった経験からいうならば、教委が許可することは想像できない。

 ワシントンでは「ヒロシマ・ナガサキ反核平和使節団」の趣旨に賛同する上下両院の議員たちの事務所を訪れ、ロビー活動を行った。アフガン戦争にただ一人反対の意思表示をしたバーバラ・リー議員事務所も訪れた。政策スタッフによると、戦争反対の明確な意思を持った議員は四、五〇人はいるが派手には動けない政治状況だとのこと。マッカーシズムにも似た偏狭な「ナショナリズムのブルドーザー」が議員たちを締め付けている。戦争に反対することが米国ではますます難しくなりつつあるという。米国に比べ日本では、これまで「戦争に反対するのが普通」だったのだが・・・

「ニュークリア・ピース」の終焉か

 ブッシュ政権の核政策は、核兵器廃絶を求める広範な世論に背を向け、「ニュークリア・ピース」(「核の平和」)を人類に強要する強者の思い上がりである。「ニュークリア・ピース」とは「核兵器と人類との半永久的共存による平和」を意味する。核兵器は毒ガス兵器などと違って、クリーンで安全な兵器だというわけだ。平和勢力は、このような「平和」はまやかしの平和に過ぎず、核兵器の拡散を助長し、米国の意図はかならず破綻するとして、米国の核政策を批判してきた。

 米国で九六年に行われた世論調査でも、核兵器がないほうが国は安全とした回答は八四lに、核兵器廃絶を望む米市民は八七%に達した(世論調査専門のLake Sosin Snell & Associates社が九七年三月に一〇〇六人を無作為に選んで行った電話調査)。「ニュークリア・ピース」という核兵器に依存する安全保障政策は米ソ冷戦が終結し、ソ連が崩壊した状況では国の利益にならず、かえって危険だと米国民が判断したのだろう。

 九〇年代になってあいついで発表された国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見、六〇人を超える元将軍・国防高官の声明、大統領・首相経験者たちのアピール、キャンベラ委員会の声明なども核兵器廃絶を強く主張している。九八年夏には七三人の米カトリック司教が核兵器廃絶を主張する司教教書を発表、「核抑止論は必要悪」として「ニュークリア・ピース」を容認した一五年前の司教教書を自己批判した。

 以上のような国内的・国際的核兵器廃絶の世論をよそに、「ニュークリア・ピース」の半永久的な維持強化を図る米政権の意図は、すでに「九・一一」以前から明白だった。九五年のNPT無期限延長の決定は「ニュークリア・ピース」を承認したのも同然な愚挙としかいいようがない。NPTが発効した当時、キージンガー元ドイツ首相は「これは、いわばアル中患者の禁酒運動だ」と嘲笑して、その不平等性に強い不満を示した。

 そもそもNPTのような不平等条約がまがりなりにも機能してきたのは、核兵器国を米、ロ、英、仏、中の五カ国に限定するのと引き換えに、@核兵器国が、核軍縮および「全面的かつ完全な軍備縮小」に繋がる国際条約の整備に関して「誠実に交渉を行うことを約束」し(第六条)、A「原子力の平和利用」に関するあらゆる権利を核兵器保有を断念してNPTに加盟する国に保障したからだった(第四条)。しかし、核兵器国はNPT第六条の約束をまったく履行していない。

 諸国家の平等性が原則であるべき国際秩序において、NPTのような特権条項を含む条約は過渡期の一時的合意ならいざ知らず、半永久的に維持されていいはずはない。にもかかわらず、独占的核兵器保有による「ニュークリア・ピース」を維持するために、「核独裁体制」を目指しているとしか思えないブッシュ政権の核政策に対しては、非核兵器国の連帯による米国包囲網を作り、「猫の首に鈴を付ける」覚悟で対抗する以外に、この「ニュークリア・ピース」体制に風穴を開ける方法はない。

 スウェーデンやメキシコなどの七つの中堅国で作る「新アジェンダ連合」が、冷戦時代とは異なり、東西両陣営のいずれの肩も持たずに、非イデオロギー的に形成され、純粋に核軍縮を求める活動を展開していることは心強い。国家レベルの連合体としては初めての核廃絶運動であり、二〇〇〇年五月のNPT再検討会議では「保有核兵器の完全廃棄の明確な約束」を核兵器国から取り付けることに成功した。

「ニュークリア・ウォー」の危機

 これまで、米国は二一世紀も「ニュークリア・ピース」で行く方針を表明してきた。しかし、ブッシュ政権には、どうやら「ニュークリア・ピース」を維持強化するための国際協力を尊重する意図はないらしい。二〇〇〇年五月のNPT再検討会議での「保有核兵器の完全廃棄の明確な約束」という国際的な合意はなかったも同然な言説を繰り返している。ミサイル防衛計画(MD)によって、核戦略態勢をさらに宇宙空間にまで拡大する方針は、約二〇年前に葬られたはずの「スターウォーズ計画」(SDI)が息を吹き返したものと思われていたが、単なるSDIの再来ではなさそうだ。

 ブッシュ政権は「ニュークリア・ピース」に飽き足らず、「ニュークリア・ウォー」さえ辞さない構えだ。六月一〇日付ワシントンポスト紙は、ブッシュ政権の「核態勢見直し」(NPR)について「長く堅持してきた核不拡散政策の放棄と受け止められる」と指摘し、米国はイラン、イラク、シリア、リビア、北朝鮮の五カ国を交渉相手ではなく、米国に脅威を与える「自爆テロ国家」としか見ていないと伝えている。自爆テロの国家版というわけだ。

 一月の年頭教書ではイラン、イラク、北朝鮮の三国を「悪の枢軸」として挙げたのだが、「核態勢見直し」ではシリアとリビアが追加され、最終的にはさらにロシアと中国までもが加えられた。そして、大統領はこれら七カ国を核兵器攻撃の対象国として検討するよう国防総省に指示していたことが明らかになった。徐々にではあるが一歩一歩前進してきたかのように思われた多国間の信頼醸成が一挙に崩れ、米ソ冷戦に替わって、米国対七カ国の新冷戦時代が故意に作り出された感じだ。

 すなわち、核兵器以外の兵器による攻撃では破壊できない攻撃目標、生物・化学兵器による攻撃への報復、予測を越えた軍事上の展開に対して、米国が先制攻撃による「ニュークリア・ウォー」を構える可能性が濃厚になってきた。九五年のNPT無期限延長決定に当たり、核兵器国は、「NPT締約国である非核兵器国に対して核兵器を使用しない」と宣言し、国連安保理決議九八四号「非核兵器国の安全保障に関する決議」でも、同じ内容が確認されていることもブッシュ政権は無視している。

 これら七カ国は、北朝鮮を除けば、ムスリム国家か国内に多数のムスリム人口を抱えている国々である。その背景には十二億人にのぼるムスリム教徒が控えており、ムスリム国家は五八ヵ国を数える。【「九・一一」直後に、ブッシュ大統領はイスラム原理主義との戦いを「クルーセード」(十字軍)と呼んで顰蹙を買った。米国南部諸州を温床として勢力を伸ばしてきた「キリスト教原理主義」はブッシュ政権の基盤の一つであり、その宗教的選民意識は他宗教に対する極端な不寛容主義で知られる。*

 ブッシュ大統領が「善と悪」、「光と闇」といった二元論的世界観で国際情勢を判断しているとすれば、イスラム世界との「文明の衝突」は避けられず、極めて憂慮すべき近未来が出現することになるだろう。というのは、米国に対抗できるだけの軍事力をもった国がない世界では、ちょうど正規軍とゲリラとの闘争のような関係が生まれ、聖戦(ジハード)を心底から信じる覆面をした非国家集団によるテロ攻撃が米国とその友好国に向けられるだろうからだ。

 乱暴としかいいようのない米国の世界政策を座視傍観するならば、「ニュークリア・ウォー」が、イスラム世界の各所にヒロシマ・ナガサキの惨状を作り出す恐れがある。それは米ソ核戦争のような「核の冬」をもたらしかねない究極の「終末論的世界大戦」には至らないだろう。だが、「ニュークリア・ウォー」が米国の一方的勝利に終わるという保証はない。【自爆覚悟の天才的「テロリスト」が現われ、「九・一一」を上回る奇襲で、驕る超大国に屈服を強いる可能性がないとは言えないからだ。「九・一一」の当日、テロを恐れてブッシュ大統領もチェイニー副大統領も身の危険を感じて逃げ回ったことを思い出す。*

 米国の支配に「ノー」を突きつける国々に「悪の枢軸」というレッテルを貼ったのは、相手国民を非人間化し、戦争で虫けらのように殺すことを正当化するために国民の人権意識を麻痺させるときに使う常套手段である。かつて、米国はソ連を「悪の帝国」と呼んだ。日本が米英両国民を「鬼畜」と呼び、米英が日本国民を「サル」、「シラミ」と呼んだのと変わらない。「鬼畜」や「シラミ」ならば、生体実験の材料にしても、原爆で抹殺しても構わないというわけだ。ブッシュ政権が、戦前・戦中の日本軍国主義にも似た「好戦的な米国」を演出しているのは、秋の中間選挙や次期大統領選挙の有利だからというが、予期せぬ深刻な結果に繋がる恐れもあることを知るべきだ。

 二〇年前、北アイルランドのベルファスト市では百貨店に入るときでさえボディチェックされたが、米国でも「九・一一」以後、国連、議会、大使館、放送局などの入り口で空港並みの安全チェックが行われている。北アイルランド紛争で採用されたテロ対策の方法が広がり、グローバル化する勢いだ。「やられたらやり返す」という報復主義を放置するならば、やがて世界全体が紛争地帯と化し、安心してバスにも乗れなくなるだろう。紛争地帯のグローバル化は何としても食い止めねばならない。

 ブッシュ政権誕生以来、米国の一国主義はより露骨になった。クリントン政権下で始まった包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准拒否に加え、ロシアとのABM条約の破棄、地球温暖化防止のための京都議定書の反故化、核不拡散条約(NPT)からの撤退示唆、国際刑事裁判所のボイコット、対人地雷禁止条約の批准拒否、地下核実験再開の示唆と実験に要する準備期間短縮化計画、使用を前提とした超小型核兵器の開発、宇宙核軍拡をめざすMD計画、STARTプロセスの放棄等々、そのあからさまな単独行動主義は目に余る。

 NPTもCTBTも共に無視する米国が核抑止論と決別し、核兵器の実践使用に踏み切るならば、核兵器保有への誘惑に抵抗して、非核を貫く意味はなくなり、NPTによる不拡散のタガはなくなるわけだから、核兵器国が増加するのは不可避的となる。

 当初、ブッシュ政権の新軍拡路線は、冷戦終結で倒産しかかった米国巨大軍需産業の必死の生き残り策への救援政策と考えていた人は少なくない。ネーション誌の最新号はこれを否定して、こう結論する。ブッシュ政権入りした軍需産業の元重役、顧問、主要株主三二人は、軍拡路線の推進者たちである。巨大軍需産業は、これまでの政権ではそうだったように、ロビー活動によって予算獲得に血道をあげる必要はなくなった。「ブッシュ政権自体が巨大軍需産業なのだから」、と。

核なき世界への手がかりを求めて

 対テロ戦争を隠れ蓑にしたブッシュ政権のミリタリズムと核兵器への依存は弱肉強食のマキャヴェリズムであり、西洋社会が生み出した最も忌むべき思想といわれる「社会ダーウィニズム」に基づく世界政策である。生存競争や適者生存という自然界の法則を人間の世界に適用すれば、ナチスの優生思想や弱者切捨て思想に帰着する。そうなれば、人類が孜々営々として築いてきた人権思想、平等思想、福祉思想などはことごとく息の根を止められ、「強者の支配」は公認されることになるだろう。

 とうとう、NYタイムズ紙までが米国を核の「ならず者国家」だというニュアンスの社説を書いた(三月一二日付社説)。「核のスーパーならず者」と酷評する米国人さえいる。中近東では米国を「大悪魔」(Great Satan)と呼び、米国こそ「諸悪の根源」だとする酷評さえある。わがまま放題な一国主義政策に突っ走るブッシュ政権は、いまや世界平和に対する最大の脅威となっている。「九・一一」直後、「あこがれと嫌悪感の入り交じった」対米感情を抱く中国民衆は「ざまあみろだ」と言って喜んだという(朝日新聞、〇一年一〇月二〇日)。

 が、テロの原因について米国は反省する様子はない。イラクに対しても、外交交渉や政治的圧力によってではなく、軍事的攻撃によってフセイン政権を倒す計画を練っている。

 【七年間も国連大量破壊兵器廃棄特別委のチーフ査察官を務めたスコット・リターは、調査は完璧に近く、大量破壊兵器保有に関する「証拠の不在は不在の証拠ではない」という詭弁を弄してイラク攻撃を主張するラムズフェルド国防長官を暗に批判しながら、米国は国家危急存亡のとき以外は戦争をすべきでないというのが建国の精神であり、大統領令による宣戦布告ではなく、議会の承認による宣戦布告でなければならないとブッシュ政権の主戦論に釘を刺している(ボストングローブ紙、七月二〇日)。さらに、ブッシュは民衆にもアラブ諸国にも支持されたPLOのアラファト議長も排除する構えだ。このような強攻策には穏健派であるパウエル国務長官も不満らしく、その去就が噂になっている(ヘラルド・トリビューン紙七月二六日)。

 アフガンでの「作戦成功」が、ブッシュ大統領やイスラエルのシャロン首相を勢いづかせ、彼らは選民意識と「強者の論理」に酔っている。*】しかし、ブッシュやシャロンの強硬策は対抗暴力を煽る結果になり、一時的には効果があるように見えても長続きはしない。「強者の論理」だけで世界を自由に動かせると考えるのは驕りでなければ錯覚であり、人類の歴史に目を閉ざしている。

ブッシュ大統領の演説を聴くたびに思い出すのは「日本よい国、強い国。世界に誇る偉い国」と子どもに教えた戦前・戦中の教科書である。日本と米国を入れ替えてみるがいい。ブッシュの演説そっくりではないか。「アメリカよい国、強い国。世界に誇る偉い国」。*】

 驕れる者、久しからず。地域の盟主を自認し、武力を背景にして傲慢な策略で周辺諸国を支配した大日本帝国はあえなく崩壊した。東京、大阪を始め都市という都市が空襲で焼き尽くされ、挙句の果てに原爆を投下されて降伏し、そうした悲惨な体験を通して日本国民は戦争の無意味さを骨の髄まで味わった。憲法九条の非武装不戦主義がまがりなりにも今日まで支持されてきた歴史的背景である。

 憲法九条が主張する「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」という考えは、世界の常識に反する「非常識」だったかも知れない。しかし、日本国民は、朝鮮戦争とベトナム戦争を介して、「非常識」について思索し、米ソ冷戦中にも九条について学び、非武装平和主義の思想を深めてきた。そのようなプロセスの中で、「世界の常識」では戦争もテロもなくならず、核兵器廃絶は夢のまた夢だということに気づき、「非常識」の道以外に平和への道はないことを再確認したのである。

 九九年に開催されたハーグ平和会議では、「日本の憲法九条に学べ」という声が強く、これが「ハーグ平和会議一〇原則」の第一原則として採択され、日本国憲法は公布後半世紀以上もたってようやく、非武装中立主義の世界的普遍化の端緒を掴むことになった。あたかも、北大西洋条約機構軍によるコソボ爆撃に対する民衆の怒りが頂点に達していたときだった。

 ヒロシマ・ナガサキの被爆者や市民にとって、核兵器は「悪魔の兵器」である。核爆発が制御可能な「バンカーバスター」型の超小型核兵器なら使用してもいいという「核使用肯定論」はヒロシマ・ナガサキの惨状、特に放射能の恐ろしさを知らな過ぎる。あの地獄図に思いを致すならば、この非人道的な放射性の「空飛ぶアウシュヴィツ」で人殺しをする感覚は尋常ではない。東海村ウラン事故で多量の放射線を浴びた作業員は手の施しようがなく、最高の医学をもってしてもついにその命を救うことはできなかった。

 湯川秀樹博士は核兵器を「絶対悪」と呼んだ。核兵器の存在自体がそうではないのか。核兵器こそが安全保障の脅威であり、核兵器を保有する国家こそが「テロリスト国家」ではないのか。

 レーガン大統領の対ソ強行政策で、米ソの緊張が最悪となった八二年六月、核凍結と核廃絶を求める百万人がニューヨーク市のセントラル・パークに集結した。今年六月、その二〇周年を記念して、米議会でNGO諸団体の要請を受けた動きがあった。すなわち、NGO側からはジョナサン・シェル、ランドール・フォースバーグらの著名人が、議会側からはエドワード・マーキー上院議員、デニス・クシニッチ下院議員らの民主党議員が、共同でブッシュ政権の核政策に反対する緊急アピール「核の危険に終止符を!」を発表した。

 平和研究者としても知られるフォースバーグは八一〜八二年の米国における核凍結運動の立役者であり、シェルは名著『地球の運命』(八二年、朝日新聞社刊)で米国の、ひいては世界の反核運動を理論的に支え、冷戦終結の世論に貢献した論客である。

 アピールには、冷戦終結後にも大国が核にしがみついている現実、新たな核保有国の登場、テロ集団の核兵器入手可能性、ロシアの核管理の不備、米国の「核態勢見直し」、印パ核戦争の危険、まやかしの米ロ核兵器削減協定、対テロ戦争の誤り、核保有それ自体が核拡散を煽っていること、核による「九・一一」に類似したテロ攻撃が生じた場合の予想されるより一層の惨状などに触れながら、核による大破局を回避するためには条約に基づいた漸次的核削減と最終的核廃絶以外に道はないとしている。

 そのためのステップとして、NPTの尊重、核による先制攻撃の否認、核弾頭の開発・実験・生産の永久停止、双務的で検証可能な削減核兵器の処分および核弾頭の安全保管に関するロシアとの協定、CTBTを批准することによる核不拡散体制の強化および北朝鮮、イラクの核疑惑の一掃、核分裂性物質の管理体制の強化、核ミサイル発射態勢の警戒解除、米ロの核兵器を相互に千発にまで削減する協定締結などを列挙している。

 このキャンペーンは本年度中に賛同者を百万人に、二〇〇四年までに一千万人に増やすことを目標としている。次の大統領選挙の年である二〇〇四年に、核軍縮を米国政治の中心課題として米国民に訴えるためである。

 平和は自然に訪れるのではない。「平和への道はない。道が平和なのである」というA・J・マストの言葉は平和的ライフスタイル、あるいは平和へのプロセスの重要性を示唆している。別言するならば、平和への準備なしに、平和はやってこないということである。「備えあれば、憂いなし」という掛け声につられて戦争への準備をしても、平和はやってこない。一部の大学でのように大学へ自衛隊員を呼んで有事の図上演習をしても平和には繋がらない。

 「平和な明日を求める九・一一遺族の会」の一会員が八月六日の原爆慰霊祭に広島にやってくる。「九・一一」で弟を失った八〇代半ばのリタ・ラサールさんだ。一月に彼女はアフガニスタンも訪問して、米軍の爆撃で家族を失った人びとを慰問した。四月に彼女らと抱き合うようにして辛い思いを分かち合った被爆者や「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の訪米団員が再会し、ささやかな交流会を通して、核兵器も、戦争も、テロもない未来創造の手立てを語り合う。

 現在の危機的「逆コース」の潮流をせき止め、核のない平和な未来創造へのうねりを呼び戻すために何ができるのだろうか。秘策はあるのだろうか。ペンタゴンや防衛庁のような巨大組織は「武力による平和」を考えているのだろうが、私たちが考えているのは「平和的手段による平和」である。それは細く、長い道程である。が、百里の道も一里から、私たちはすでに歩み始めている。小さな平和への歩みを積み重ねずに、核兵器廃絶の大きなうねり巻き起こすことはできない。

 社会学者のマーガレット・ミードも言っている。「世界を変えることができるのは思慮深い、不動の意思をもった少数の市民たちだということを決して疑ってはなりません。実際、そうした人びとだけが世界を変えてきたのです」、と。ミードの言葉はそのまま被爆者や反核平和主義者の信念でもある。

 (注)文中、【・・・*】として括った箇所は主として紙数制限のため『世界』(〇二年九月号)には掲載されてない。





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