岡本みつおとヒロシマの関係とは?
広島での涙が転機に
六八年春、岡本は八年ぶりに日本に帰った。京都に向かい、教授の仲人で挙式した。そこから大学に赴任する途中、安芸の宮島に寄るのが新婚旅行だった。宮島に着くまでに日が暮れ、広島駅で紹介された駅前の旅館に泊まった。
翌朝、出立までの時間つぶしに、二人で平和公園を散歩した。原爆によって一瞬にして消えた十数万の命が眠る場所にいる、という厳粛な気分は覚えている。しかし、その次に起きた情動は、いまも正確に分析できない。ただただ涙が流れた。
自分は戦争がもたらしたひもじさ、みじめさ、屈辱にまみれた少年時代を送った。それをとにかく生き抜いた。そしていま、ここに立っている自分は大学に赴任しようとしている。新妻も伴っている。幸せだ。
それに引きかえ、ここにいた少年たちは、飢えの苦しさといっしょに、命と未来まで奪われた。
申し訳ない。その気持ちでいっぱいだった。
戦争の被害者は自分だけではないのに、自分だけが日本を捨て、アメリカとドイツに楽土を求めて、すり抜けるように生きてきた。それがここに立って初めて、他人の幸、不幸にも思いを巡らすことができるようになれた、と思った。
傍らの妻に、その気持ちを説明したわけではない。他人の死と自分の生を見つめて泣く夫の、無残な少年時代を知っている妻も泣いていた。
翌朝、出立までの時間つぶしに、二人で平和公園を散歩した。原爆によって一瞬にして消えた十数万の命が眠る場所にいる、という厳粛な気分は覚えている。しかし、その次に起きた情動は、いまも正確に分析できない。ただただ涙が流れた。
自分は戦争がもたらしたひもじさ、みじめさ、屈辱にまみれた少年時代を送った。それをとにかく生き抜いた。そしていま、ここに立っている自分は大学に赴任しようとしている。新妻も伴っている。幸せだ。
それに引きかえ、ここにいた少年たちは、飢えの苦しさといっしょに、命と未来まで奪われた。
申し訳ない。その気持ちでいっぱいだった。
戦争の被害者は自分だけではないのに、自分だけが日本を捨て、アメリカとドイツに楽土を求めて、すり抜けるように生きてきた。それがここに立って初めて、他人の幸、不幸にも思いを巡らすことができるようになれた、と思った。
傍らの妻に、その気持ちを説明したわけではない。他人の死と自分の生を見つめて泣く夫の、無残な少年時代を知っている妻も泣いていた。
(平成6年10月29日掲載:朝日新聞「はざまの群像・平和の旅人4」より抜粋)
2003年3月2日「3.2ヒロシマNOWAR人文字メッセージ」











